東京高等裁判所 昭和28年(う)2733号 判決 1955年4月02日
控訴人 被告人 田中昭三 外八名
弁護人 為成養之助 佐藤義彌 浦和地方検察庁検事 服部卓
検察官 横川陽五郎 入戸野行雄
主文
原判決を破棄する。
被告人田中昭三を懲役十五年に、
被告人仲村を懲役八年に、
被告人田口を懲役五年に、
被告人石田を懲役十二年に、
被告人山畑を懲役十二年に、
被告人伊藤を懲役十一年に、
被告人大谷を懲役十年に、
被告人宮沢を懲役三年六月に、
被告人田中正雄を懲役三年六月に
各処する。
押収の火焔瓶三本(昭和二八年押第八七六号の一〇)麻縄三本(前同押号の一九、二〇、二一)短刀一振(同押号の三〇)洋刀一振(同押号の三三)はこれを没収する。
(検察官の本件各控訴を棄却する。)
(訴訟費用の点省略。)
理由
本件控訴の趣意は末尾に添付した検察官大久保重太郎名義の控訴趣意書、被告人等九名の弁護人為成養之助、同佐藤義彌名義の控訴趣意書及び被告人九名の夫々提出した控訴趣意書のとおりで、これに対し、当裁判所は次のとおり判断する。
検察官の論旨第一点の一について。
被告人田中昭三、同石田道男に対する昭和二十七年十月二日附起訴状には所論指摘のとおり、強盗未遂の訴因を記載してある。ところが原判決はこの強盗未遂の訴因に対し「被告人田中昭三、同石田は三浦正也、西部独立遊撃隊員小林誠吾と共謀の上、右遊撃隊の将来の行動に資するため、米国駐留軍軍人の乗車している進行中の自動車に石塊を投げつけて、これを停止せしめ得るや否やを試さんとし、昭和二十七年七月三十日午後八時三十分頃、所沢市大字北野地内豊岡街道において、各自手拳大の石塊を携え、その通行を待機していた折柄、同所を通りかかつた米国駐留軍軍人エイ・エフ・ビシンスキー、及び同人の知人高木進(満四十一年)の乗車していた自動車めがけて、それぞれ所携の石塊を投げつけ、以て同人等に対し数人共同して暴行した」との事実を認定し、暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項を以て処断したものである。所論は右判示事実が被告人等に金品強取の意図の存することを認定しなかつたのは事実の誤認であり、右所為は強盗未遂罪として処断すべきものと主張する。しかし夜間高速度で進行中の自動車に手拳大の石を投げつけても、反抗を抑圧する程度の暴行とは認め得ないところであり、この暴行だけで直ちに強盗罪の実行の着手があつたものと認められないから、強盗未遂を主張する論旨は、すでにこの点において失当であるのみならず、原判決がその引用する証拠の示すところによつて原判示のとおりの事実を認定したのも理由のないわけではない。というのも西部独立遊撃隊が既に結成され、被告人田中昭三、同石田がその重要メンバーであつた事実から、同被告人等に権力者に対する反抗の意思を認定するのはともかく、それだけの事実から直ちに強盗の意図があつたとは認められないからである。而して同被告人等が右犯行前火焔瓶を製作し、その実験をしていることや、前記自動車に対する投石の翌日強盗の目的で火焔瓶を進行中の自動車に投げつけ、運転者青木忠を負傷させたことも認め得ないわけではないが、他方本件投石の前日被告人山畑等の福原村助役関口道之助方住宅に火焔瓶を投げ込んだ放火未遂事件(原判決第一の事実)があり、これに引続く本件に於ても、その現場たる豊岡街道に行くまでは、被告人田中昭三、同石田にしても、その外小林誠吾、三浦正也にしてもただ地理地形の調査をする意思があつたのみで遊撃隊の資金獲得のための自動車投石などは考えてもみなかつたところ右現場で突然田中昭三の提案により投石行為を敢行することとなつたことはすべての証拠の一致するところである。してみれば本件投石行為は単に権力者に対する反抗的意図の表現である点で前記福原村助役方の放火未遂事件と類似し、未だ強盗の意図まではなかつたが右行為により石を投げただけでは進行中の自動車を止め得ないことが判つて、その次から石に代えて火焔瓶を投げつけ、よつて財物を強取せんとする意図に発展して行く一の動機となつていることが窺われるのである。それ故本件投石行為後行われている火焔瓶投擲事件等がいずれも強盗の目的であつたことから遡つて右投石行為も亦強盗の犯意にでたものとすることは失当である。従つて原判決の事実認定は経験則に反するものではない。所論引用の証人小林誠吾の供述中不確定的な強盗の犯意について証言する部分は原審の認めなかつたところであり、その他球根栽培法(昭和二十八年押第八七六号の三五)は原判決の採用しなかつたものである。所論は結局これら原判決の採用しない証拠により原判決に事実の誤認があることを主張するに過ぎないから理由がない。
同第一点の二及び同第二点について。
原判決が挙げている鑑定人山本裕徳作成の鑑定報告書、鑑定人伏崎彌三郎作成の鑑定書及び武田均の昭和二十七年十月七日附鑑定書によつて、本件火焔瓶が、その原料、構造、装置において、又その性能、作用においても原判決認定のとおりであると認められる。而して爆発物取締罰則にいわゆる爆発物とは、理化学上のいわゆる爆発現象を惹起するような物質で、爆発作用そのものにより、公共の安全を攪乱し又は人の身体、財産を傷害損壊するに足る破壊力を有するものと解するのが相当である。(最高裁判所昭和二八年(あ)第二八七八号事件判決参照)然るに本件にあつては、判示火焔瓶の投擲により瓶中の硫酸が流出し、瓶の外側の塩素酸加里と化学変化を起して酸化塩素を発生し、紙又は糊に触れて爆発的に分解し高熱を発し、これがいわばマツチの作用をなしそのためガソリンが引火して燃焼するに至ること原判示のとおりであり、塩素酸加里と硫酸の化学変化による爆発をマツチの作用に比較してはいるが、火焔瓶自体をマツチの燃焼と同一視しているわけではないし、その威力を無視したわけでもない。ただ本件火焔瓶に装置された程度の少量の塩素酸加里を以てしては、局部的小爆発を惹起すだけで、その爆発自体により公共の安全を攪乱し、人の身体、財産を傷害損壊する力のないものであることを判示しただけである。而してガソリンの燃焼作用は相当急激な燃焼といい得るが、理化学的には定常燃焼に過ぎないから、非定常燃焼たる爆発現象とは本質的に相違することも原判決説明のとおりである。してみれば本件火焔瓶は塩素酸加里の化学変化による小爆発と、これと接着し、殆ど同時にガソリンの燃焼を惹起するよう装置されたものではあるが、未だ爆発物取締罰則にいわゆる爆発物に該当するものとは認められず、これと見解を同じうする原判決は正当で、所論のような事実誤認もなく法律適用の誤も存しない。それ故所論は理由がない。
弁護人の論旨第一点について。
原判決第二事実は先に引用したとおり、被告人田中昭三、同石田等が駐留軍軍人の乗車している進行中の自動車に石塊を投げつけ、これを停車せしめ得るや否やを試してみようとした旨判示しているのであり、進行中の自動車中の人も当然投石の対象となるわけで、単に右自動車のみを対象としこれに投石する意図にでた旨判示しているわけではない。而して現に駐留軍軍人E・ビシンスキー及び高木進両名が乗車している自動車めがけて手拳大の石塊を投げつけ命中させた(その結果右自動車の右前方運転手席近くの窓ガラスが二ケ所も破壊されていること記録第二二四丁の写真及び原審証人高木進の供述(第一回)により明瞭になつている。)という所為が、乗車中の右両名の身体に対する有形力の行使であり、刑法第二百八条の暴行に該当することもちろんである。論旨は理由がない。
同第二点について。
数人共同して刑法第二百八条の罪を犯した場合には暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項該当の犯罪が成立することはいうまでもない。従て後者の暴行が刑法第二百八条の暴行と異ると解すべき何等の理由もない。原判決が被告人田中昭三、同石田に対し外二名即ち小林誠吾、三浦正也と共同して、E・ビシンスキー及び高木進両名乗車進行中の自動車めがけて投石した事実を認定し、これを暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項に問擬しているのは正当で、論旨は独自の見解に過ぎないから理由がない。
同第三点について。
原判決は強盗未遂の訴因について、訴因罰条の変更を命ずることなしに原判示第二として暴力行為等処罰に関する法律違反の事実を認定している。しかし強盗未遂の訴因たる昭和二十七年十月二日附田中昭三外三名に対する起訴状第一の(一)の事実は「被告人田中昭三及び同石田は西部独立遊撃隊員である小林誠吾及び宮本こと三浦正也と共謀の上、右遊撃隊の行動の一環として右遊撃隊の資金獲得等のため米国駐留軍の乗つている自動車を要撃し暴行又は脅迫を以て金員を強取せんことを企て、昭和二十七年七月三十日午後八時三十分頃所沢市大字北野地区豊岡街道において短刀一振及び各自手拳の二倍大の石塊を携えてその機会を窺つていた折柄同所を通り蒐つた米駐留軍少尉E・F・ビシンスキー及び同人の知人高木進の乗つていた自動車に対し、それぞれ所携の石塊を投げつけたが、同人等にそのまま逃走せられたため所期の目的を遂げず」というのであり、原判決認定の暴力行為等処罰に関する法律違反事実は冒頭検察官の論旨第一点の説明に引用したとおりでこの両者を比較するに後者の事実(原判示第二事実)はすべて訴因たる強盗未遂の訴因中に包含され、ただ財物強取の犯意がなかつたのみでいわば強盗未遂の訴因を縮少された態様、限度において認定したに過ぎないというべく、しかもこのように縮少された態様、限度において事実を認定しても被告人田中昭三、同石田の防禦権の行使に実質的不利益を蒙らしめるものでないこと明らかである。このような場合、強盗未遂の訴因に対し訴因罰条の変更手続を経ずして、訴因の縮少された態様たる暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項の事実を認定しても違法と解すべきではない。(昭和二六年(あ)第七八号事件最高裁判所第二小法廷言渡判決参照)なるほど強盗未遂罪は財産に関する犯罪であり、暴力行為等処罰に関する法律違反(刑法第二百八条)は人の身体に対する犯罪であり、その罪質が異ることは所論のとおりではあるがそれ故に訴因の変更手続を要するものとは解し得られない。論旨は理由がない。
同第四点について。
所論は強盗行為が未遂である場合には強盗傷人罪にも未遂の規定を適用すべきものとする。しかし苟も強盗がその犯行の現場において人を死傷すれば、強取行為が既遂たると未遂たるとを問わず、刑法第二百四十条の罪が成立するのであり、更に未遂に関する同法第二百四十三条を適用すべきではない。原判決の法律適用は正当で論旨は理由がない。
同第五点について。
所論は原判決の証拠となつている各被告人の供述調書は、いずれも任意性がなく、証拠能力がないに拘らず、これを採用した原判決は刑事訴訟法第三百十九条第一項、憲法第三十八条第二項に違反する違法があり、更に原審が被告人側申請の証人を理由なく却下したのは審理不尽であり、その結果無罪たるべきものを有罪とする重大な事実の誤認を侵していると主張する。
しかし被告人田口勝が逮捕されて、小川地区警察署に連行されたとき、暴漢に殴打されたとか、警察職員が同被告人の弁護人選任を阻んだというような事実は認められない。却つて原審証人新井治作の証言によれば被告人田口が所論のような暴行を受けた事実が存しないこと明らかであるし、昭和二十七年八月十九日附被告人田口の司法警察員に対する供述調書には弁護人の選任ができることを告げられ、考えておきますと述べているし、当審証人小林利の証言によれば、被告人田口は自由法曹団に属する弁護士を選任せんとする希望を洩していたので、直ちにその選任用紙を同被告人に交付したが、弁護人の合同事務所の所在が埼玉県警察本部で判らなかつたのと、被告人田口が弁護人選任を用紙に記載しなかつたため、その選任が遅れたものと認められるのみで積極的に田口の申出を拒絶したり妨害したものでないことが認められる。その他所論摘録の如き事実が一切存しないことは原審証人村松栄、同小島朝政、同青木一夫、当審証人菊地政雄、岩淵秀美、小林利、長谷部梅吉の各証言によつて明白なところである。即ち被告人田中昭三、田口、仲村、石田、伊藤、宮沢、田中正雄(被告人山畑と同大谷とは終始供述を拒否し、従つて同被告人の供述調書は存在しない)等はいずれも供述を拒否することができることを告げられ、供述を録取して後これを読み聞けたところ相違ないことを承認したが故に被告人仲村以外の者は素直に署名指印しているのであり、被告人仲村と雖も指印だけは任意にしている、而して右被告人等の取調には深夜に亘ることは厳重に避け、遅くとも午後十時を超えて取調をしたことはなく、取調が長時間に亘るときは中途で暫く休息させ、身体の屈伸等適宜の運動をやらせていたこと、被告人田中昭三が、身体の不調を訴えたときは直ちに医師の診察を受けさせ、その日は取調を中止して休養をとらせた事実こそあつても、病人を無理に取調べ医師の診察を受けさせなかつたこと等ないし、被告人等の中にあつて、前記田中昭三の僅かの違和状態を除けば一人として疾患のため取調に堪えない者はいなかつたこと、田中昭三を取調べるに当つて盛夏の候にも拘らず出入口を閉鎖したことはあつたが、それは新聞記者その他外部の者の探訪等を防ぐためで、出入口こそ閉鎖しても、窓はできるだけ開き、涼風を通すようにし、時々冷水で身体を拭わせ、シヤツの洗濯もさせる等保健上の注意もしており、決して取調を受ける側の者に苦痛を与えて供述を求めようとしたものでないこと、況んや被告人等の食事を制限したり、睡眼を妨げたり、ことさら長時間の取調を継続したり脅迫めいた取調をしたりして被告人等の肉体的疲労や、精神的混乱に乗じて供述を求めたり、或は供述すれば釈放するなどと甘言を以つて供述を迫つたというような、苟も供述の任意性を疑わしめる一切の行為が存しないこと明白である。
それにも拘らず被告人等は一齊に、その供述調書の任意性のないことを強調し、任意性の存する証拠として前記村松栄等警察官の証言は不適格とする。司法警察職員の証言といえどもその取調を受けた者の供述の任意性を認定する資料とすることが許されない理由がなく、右の如き主張は何等正当なものと認められないが、暫く司法警察職員の証言を度外視して、被告人等の供述調書に任意性が存するか否かを検討してみる。
被告人田中昭三の供述調書をみると、昭和二十七年八月二十二日附の司法警察員に対する供述調書が最も日附の早いもので、同人が同月八日逮捕されて、それまで供述を拒否してきたものと認められるが、右二十二日附供述調書と雖も同被告人が早坂(小林誠吾のペンネーム)外二名と共に横川方襲撃事件に参加した事のみを認め、その他の犯行内容に一切触れていず、その動機や共犯者の氏名につき云いたくない、自己の経歴、生活状況についても話したくはないとしているし、翌八月二十三日附検察官に対する供述調書にも、日本刀を持つていたことや松浦自転車屋(菅谷村松浦高義方)で会議があつたこと及び八月七日横川方犯行のため小川町に集合した事を認めている程度であり、共犯者の氏名も既に逮捕された小林誠吾の外被告人田口、同仲村の両名だけをペンネームで挙げているだけで、初めから凡てを包み隠さずに陳述していたわけではないが、警察側の捜査が進展するにつれて、被告人に不利益な証拠が集められ、被告人が黙否していても、その効を奏さなかつたことが判つて段々と犯行の内容を供述するに至つたもので、同被告人の供述調書をすべて検討すれば、この捜査に既に顕われた事実は隠しても仕方がないとして供述するに至つた過程が極めてすなおに調書に現われているのであり、たとえば日本刀を預けた人を初めは知らない人が預つたとしており、後に至つて名前は云えないがと前置きしてそれが、印刷屋をしている人(被告人宮沢を指す)であることを認めているのであり、決して所論のように暑中二十日間一回の運動もさせず入浴も取らせず連日連夜取調べたというような事ではなく、同被告人は最後まで未だ発覚していないことは供述して他に迷惑を及ぼすようなことはしないようにし、ただ既に発覚した事実だけを潔く供述しているだけであり、その供述が任意に為されたものであること一点の疑も残さないところである。逮捕後数日或は十数日間供述を拒否し来り、その後に為された供述なるが故に強制による自白だとすることはできない。
次に任意性を認めるに特色あるものとして被告人仲村の供述調書を挙げることができる。同被告人の供述調書も昭和二十七年八月二十二日附のものを最初として司法警察員に対するもの六通、検察官に対するもの五通が証拠として提出されているが、これら供述調書をみると、同被告人はいずれも録取したところを読み聞けられて相違ないことを承認しながら、大部分は署名を拒み指印を押しているだけで、その署名、指印ともに存するのは僅かに同月二十八日附検察官調書のみである。又同被告人は最後までその本籍、住居、職業、年齢についても供述しないのであるから、仲村健市というのも果してその本名であるか否かを他の資料たとえば本籍照会等によつて確認できない現状であり、その供述内容も、慎重に配慮し、累を他の者に及ぼさないようにし、殊に共犯者で逮捕されていない者については供述がそこえ触れるようになつても、その氏名、動静は云いたくないと述べているのである。このように本籍、住所、年齢等も語らず、調書には指印のみを為し、共犯者の氏名、行動に触れないようにしている慎重な供述振りから見ても同被告人は一貫して取調官に対して毅然たる態度をとり、任意な供述をしたこと明らかであつて、肉体的疲労から虚脱状態に陥つて供述したとは認められない。他方同被告人の検察官に対する八月二十二日附供述調書には同人が犯行に使用した兇器を自ら図示し、これに指印したものが添付せられてあるが、これによれば、右兇器の形が特徴のあるものと認められるのみならず、兇器を入れてある革製の鞘が手縫であり、殊に刀身が抜けないように止めておく金具などにも特色があることが判る。然るにこれとその実物たる本件証拠品中の洋刀(昭和二十八年押第八七六号の三三)とを比較してみるにその特徴が一致し、実物に酷似しているのである。しかもこの図面は検察官の強制により、被告人仲村の意思に反して作成されたものとは認められない。何となれば、被告人仲村は昭和二十七年八月八日埼玉県比企郡大河原村山林に於て逮捕されたものであるところ、前記洋刀は供述調書作成後約四ケ月を経過した同年十二月二十日になり同被告人を逮捕した地点に程近いところから初めて山崎浦三郎によつて発見されたもので、この事は福島祐二郎作成の昭和二十七年十二月二十日附領置調書並びに同人の原審第十七回公判期日に於ける証言により明白であるからである。この事はひとり右兇器を示す図面の作成が任意であることを明らかにするに止まらず、その他同被告人の供述調書全般に亘り任意性の存することを示す有力な証左としなければならない。
これを被告人田口の供述調書についてみれば、更に一層明白なものを認められる。即ち同被告人は判示第五の犯行に関し横川重次方門前の電話線切断の役割を担当したこととなつているが、同人はこの事実について「最初二本の電話線の中一本だけを鋏で切断し通話は不可能となつたと考えていた、然るに電柱を下りて横川方の塀に近よると、家内で女の人が電話を使用し、通話中らしい声を聞き、驚いてその通話が終つてから更に他の一本を切断した」と述べている。原審証人小林誠吾、同飯野千代子の供述によれば当時横川方女中の飯野千代子が小川町の某薬局にペニシリンを註文していた最中であつたと認められるのであつて、この点田口の供述調書は真実に合致するのみならず、司法警察員の実況見聞書によれば、横川重次方門前電柱に於て電話線は正しく田口の供述どおり、二本とも切断されているのである。いかほど想像力に富む取調官と雖も、二本の電話線が切断されている事実から、その二本が同時に切断されたか、或は田口が供述するように時を異にして切断されたかを知ることは不可能であり、まして一本の電話線が切断されてなお横川方家人が電話を使用して他と話をしていた旨の事実を知つていたとはいえない。而して右田口の供述しているように二本の中の一本の電話線が切断されて、しかも通話が可能であるという事実は一見不合理のように見えながら、十分合理的根拠の存するところであり(この点につき更に後記第十点の論旨に対する説明参照)この事実に徴しても被告人田口は連日の取調に茫然として馬鹿のようになつていたわけではなく、事の真相を任意取調官に供述したものと認めざるを得ず、かつ爾余の供述調書もすべて任意に為された供述といわなければならない。
被告人石田道雄、同伊藤徳次郎両名の供述調書に関しては、石田が昭和二十七年九月十三日、伊藤が同年十一月三十日逮捕されたもので既に本件第五の犯行後相当の日時を経過していることでもあるし、捜査も進展して事件の略全貌が判明していたことであるから、同人等の取調は順調に行われ、石田は同年九月十七日より、伊藤は同年十二月三日より即ちいずれも逮捕されて後夫々四日目位から供述し初めているが、その内容も自然で他の証拠と矛盾する点は少しもないし、しかも未だ捜査が行き届かなかつた点につき供述を拒否し、何々の点はいえないと述べた点が各所に存していることを見れば、伊藤が精神混乱の状態で調書を作成されたとか、石田が下痢や睡眠不能、身体衰弱で取調中三度も卒倒するような状態で調書を作成されたというが如きは到底認められず、同人等の供述調書がすべて任意に為された供述を録取したものと認めるに妨げないところである。又被告人宮沢の供述調書には、同人が事実を曲げ、昭和二十七年八月六日松浦高義方に於ける被告人等会合の事実を連絡しに来た人物が本当は被告人田中正雄であるに拘らず、同人をかばつてその名を捜査官に告げず、それが被告人山畑であるという虚偽の事実を述べ、後日その虚偽なる事を告白しているところ、この虚偽の陳述を撤回したのは極めて自然でしかも直相に合致し、その他同人の供述するところが他の証拠と矛盾しない点からしても同人が発熱しているのに医者の診察をも受けさせず、同人が自白しなければその姉妹が教職を追われる等として自由を強制されたとはいえず、その供述が任意に為されたものと認められる。被告人田中正雄に至つては、同人は原審公判廷に於て本件第五の犯行当夜比企郡小川町から入間郡名細村の同被告人自宅に帰つた旨述べているに拘らず、同人の叔母内田ふさは証人として明白に被告人の供述を否定し、同夜は内田ふさ方に宿泊した事実を証言しているし、この事実が被告人の供述調書の内容と合致することを思えば、同被告人の公判廷の供述に信を措き難く、従つてその供述するような睡眼妨害や長時間の取調或は警察官の供述すれば執行猶予になる旨の甘言に乗ぜられた如き事実を認められず、法廷の供述に反する供述調書に任意性ありとすべきである。してみれば、被告人等に対する取調官の態度処遇に些かも失当な点がないことは前段説明のとおりで、かつ被告人等の供述調書の内容自体その任意性を示すに十分なものと認められる以上は、原審がこれら供述調書を採用したことは少しも違法ではない。なるほど証人関口秋男は原審公判廷で、所論摘録のような証言をしていることは認められるし、当審証人三浦正也は同人の取調に当つて、入浴や食事等について異例の厚遇を受け、時には警察官から金員を贈られた事実をさえ述べているのである。しかし関口証人の証言はまことにあいまいな内容で「山畑自供の新聞記事」に言及していても、そのような新聞記事が存した事実が本件では証明されていない、「警察官から一回だけ特別に優遇された」というが、どういう待遇を受けたことをいうのか具体的には不明であり、「田中正雄を遅くまで取調をした」というのも、その時間は判らないのである。又関口証人のいつている福島某という取調官は本件被告人等の供述調書を作成した司法警察員中にその名を発見し得ないところである。してみれば同証人の証言によつて被告人等に対する取調が所論のように不当な点が多かつたとの推測すらも許すものではない。証人三浦の証言と雖も、これを証人飯塚栄一、神山武利、長谷部梅吉の各証言と比べてみれば判るとおり、三浦正也を取調べるに当つては、時には煙草を与えて喫煙を許すこともあつた事実や神山警視一行が取調官の労をねぎろうために携えてきた菓子を取調を受けるためその場にあつた三浦にも分け与えたような事実は認められるが、大量の煙草、菓子、果物を自由に与えられたというような大袈裟なものではなかつたし、入浴の問題にしても、偶々蕨地区警察署の風呂が壊れて使用に堪えなかつたので、やむなく近くの銭湯まで長谷部警部補と同行し、その帰途支那そばを注文し、警察署に帰つてからこの支那そばを貰つた事実があるのみで、三浦の証言は著るしく誇張に過ぎること明白である。もちろん以上の事実だけでも望ましい事ではないが、その数量も僅かでしかもこれを被疑者に与えたのは警察官としての温情の一片を示すだけで、相手方を誘惑して自白させようとする態度ではなかつたことからみて取調を受けた者の供述の任意性を害う事由とは認められない。又三浦正也の警察の取調が完了した後程経てから同人が他人に貸与してある金員の取立を希望し警察職員にその旨申出た事実を聞知した警部飯塚栄一が、独断で金三千円を三浦に与えた事実はたしかに存するのである。而してこのような処遇は不当であり、警察職員として巌に慎まなければならぬことであるはいうまでもない。しかしこれも三浦の取調を完了した後の事である(この事は三浦自身もこれを認めているのである。)ことを以てすれば、その以前に作成された同人の供述調書の任意性に影響を及ぼす事由とは認められない(三浦正也の供述調書の任意性に関しては更に後に説明の部分を参照のこと)のみならず、これを以て被告人等の供述調書に任意性がない事を示す資料と主張する論旨は当らざるも甚しきものであり、従つて原審が弁護人の証人三浦正也の申請を却下したのも十分理由のあることと認めなければならない。以上のとおりであるから、原判決には毫も任意性のない供述調書を証拠に採用した違法がなく、任意の供述である被告人等の供述調書により認定された事実も他の証拠と相まち正当な事実認定という外はなく誤認と認められる点がないから論旨はすべて理由がない。
同第六点について。
原判示第一の放火未遂の事実の証拠として原判決は被告人伊藤の検察官に対する供述調書を挙げているし、それもその供述内容を刻明に判決に引用し、単に証拠の標目を示しているだけに止らないのであるが、この引用された供述中に被告人伊藤が「山畑から山畑、杉山、大谷、三浦正也の四人で関口方へ火焔瓶を投げつけてきたという話を聞いた」旨の供述記載があることは所論のとおりである。そこで所論は検察官に対する伝聞事項の供述は、公判期日に於ける供述中の伝聞について刑事訴訟法第三百二十四条の規定が存するのとは違い直接証拠能力を認めた規定がないから、前記伊藤の供述調書中同被告人が山畑から聞知した内容は証拠能力がなく(刑訴第三二〇条)これを証拠としている原判決は違法であると主張するのである。なるほど刑事訴訟法第三百二十四条は被告人以外の者の公判準備又は公判期日に於ける供述で、被告人又は被告人以外の者の供述を内容とするものの証拠能力について規定するが、検察官に対する供述調書中に現われている伝聞事項の証拠能力につき直接規定はない。しかし供述者本人が死亡とか行方不明その他刑事訴訟法第三百二十一条第一項各号所定の事由があるとき、その供述調書に証拠能力を認めたのは、公判準備又は公判期日に於ける供述にかえて書類を証拠とすることを許したものに外ならないから、刑事訴訟法第三百二十一条第一項第二号により証拠能力を認むべき供述調書中の伝聞に亘る供述は公判準備又は公判期日における供述と同等の証拠能力を有するものと解するのが相当である。換言すれば、検察官供述調書中の伝聞でない供述は刑事訴訟法第三百二十一条第一項第二号のみによつてその証拠能力が決められるに反し、伝聞の部分については同条の外同法第三百二十四条が類推適用され、従つて同条により更に同法第三百二十二条又は第三百二十一条第一項第三号が準用されて証拠能力の有無を判断すべきであり、伝聞を内容とする供述はそうでない供述よりも証拠能力が一層厳重な制約を受けるわけであるが、検察官に対する供述調書中の伝聞に亘る供述なるが故に証拠能力が絶無とはいえない。これを本件についてみるに被告人伊藤は原審において公訴事実に対して陳述したくはないと述べたのみで爾来極力その無罪を主張して来たものであり、その検察官の供述調書は同被告人に対しては刑事訴訟法第三百二十二条により証拠調が為されると共に放火未遂の共犯関係にある被告人田中昭三、同山畑、同大谷に対しては同法第三百二十一条第一項第二号により証拠として採用されたものである。この事は本件記録上明白で正当な処置と認められるのみならず弁護人の論旨もこの証拠能力を否定する趣旨とは認められない。然るにこの伊藤の検察官に対する供述調書中の被告人山畑の供述を内容とする部分は被告人山畑にしてみれば被告人以外の者(伊藤)の供述で被告人(山畑)の供述を内容とするものというに該当するから、刑事訴訟法第三百二十四条第一項によつて同法第三百二十二条が準用されて証拠能力の有無を判断すべきものである。而してそれは被告人山畑に不利益な事実の承認を内容とすることは自明であり、しかも関口方放火未遂の共犯の一員である被告人山畑が、同じくその共犯で所用のため実行行為に参加しなかつた被告人伊藤に対する放火行為の結果の報告であるから、その供述が任意に為されたものと認めるのが当然である。それ故前記被告人伊藤の供述中山畑からの伝聞に関する部分は被告人山畑に対する関係に於ては刑事訴訟法第三百二十一条第一項第二号、第三百二十四条第一項、第三百二十二条に則つて証拠能力があるというべきである。所論はこの伝聞部分にも証拠能力を認めるのは、反対尋問権を保障した憲法第三十七条第二項に反すると主張するが、既に刑事訴訟法第三百二十一条によつて証拠能力があると認められた供述調書の一部分たる伝聞事項のみについて反対尋問をすることは実質的に殆んど無意味であり、又被告人山畑やその弁護人が反対尋問をしようとさえすれば、被告人伊藤は原審公判廷に常に出頭していたのであるから、いつでも適当な時期に反対尋問をする機会は十分にあつたわけで、反対尋問権の確保を保障し得ないことを憂うる必要はない。それ故原判決が前記伊藤の検察官に対する供述調書を山畑から聞知した事項についての供述を含めその全部を証拠に引用したことは、被告人山畑に関する限りに於ては正当で論旨は理由がない。しかしそれが、他の共犯者たる被告人大谷、同田中昭三に対する関係に於ても証拠能力を有するかというに、前記被告人伊藤の伝聞の供述は被告人山畑以外の被告人大谷、同田中昭三にとつては、被告人以外の者(伊藤)の供述で被告人以外の者(山畑)の供述を内容とするから刑事訴訟法第三百二十四条第二項により、同法第三百二十一条第一項第三号の規定が準用されるのみである。従つてそれが「犯罪事実の存否を証明するにつき欠くことができないときに限り」証拠能力ありとされるに過ぎない。然るに本件第一事実の放火未遂に関し原判決は被告人伊藤の検察官に対する供述調書以外に三浦正也の裁判官に対する第一回調書及び同人の検察官に対する供述調書を採用しており、しかもこれによつて「判示日時場所に於て三浦正也、山畑、大谷、杉山の四名が一列に並んで一斉に雨戸めがけて火焔瓶を一本宛投げた」事実を認めることができ、前記伊藤の供述調書を引用しなくても、放火未遂の実行者が何人であるかの点を確認する資料に欠けた点をみないのである。してみれば、前記伊藤の供述調書中山畑から聞知した事実を供述する部分は「犯罪事実の存否を証明するにつき欠くことができない」証拠とはいえないから、原判決がこれを被告人田中昭三、同大谷に対しても証拠として引用したことは、結局証拠に関する刑事訴訟法の規定に反し、証拠能力のないものを証拠とした違法が存するとしなければならない。しかしながらかかる違法が存するにも拘らず、この証拠能力の認められない伝聞の部分を被告人大谷、同田中昭三の関係に於て証拠から除外し、爾余の証拠のみによつても原判示第一の放火未遂の事実を十分認定できるから、前記の如き証拠能力に関する違法は判決に影響を及ぼすこと明らかなものとはいえないから、論旨は結局その理由がない。
同第七点について。
所論は原判示第一の放火未遂に関する事実誤認を主張する。しかし原判決挙示の証拠(但し前記第六点説明のとおり、被告人大谷、同田中昭三に対する関係では被告人伊藤徳次郎の供述調書の一部に存する伝聞の部分は証拠能力がないと認めるからこれを除く)により原判示第一事実を認めるに十分である。而して被告人伊藤の検察官に対する供述調書と三浦正也の検察官に対する供述調書とを比較してみても所論の如き理由のくいちがいが存するとは認められず但し原審は火焔瓶の個数につき伊藤の供述中同人の記憶の不正確な部分を証拠として採用しなかつただけである。同人等が作つた火焔瓶の個数も正に原判決認定のとおりであると認められる。而して、原審証人高橋昭雄、同大谷和雄の供述によれば、被告人大谷は右犯行当時下痢症状で、昭和二十七年七月十日、十二日、二十五日、三十日の四回に医師高橋昭雄の診察を受けたことは認め得ないわけではないが、その症状が同月二十九日の犯行時に於てそれに参加することを許さない程重篤なものであつたとは認められない。現に三浦正也はその翌三十日午前中被告人大谷とバスの車中で会つているのであり、医師高橋昭雄は所沢市に於て診療に従事していて、同医師の診察を受けた被告人大谷の症状がどの程度のものであつたかを正確には比企郡野本村に居住する実兄大谷和雄が知つているわけがない。仮りに被告人大谷が医師の診療を受けた当日の同被告人の症状を野本村に居て知つていたとすれば、それは同被告人が、その後所沢市から野本村に帰つたからであり、同被告人はその程度の小旅行に十分堪えられたのであるというべきである。他面大谷昭雄は本件第五の犯罪の前日即ち同年八月六日より翌七日にかけて被告人大谷が兄昭雄方に滞在し七夕の飾り付の準備し同夜兄方に泊つた旨証言するけれども、同事実認定の証拠に引用されている各証拠によれば、被告人大谷は同月六日午後四時過より、菅谷村なる松浦高義方に於ける会議に出席し、(松浦高義が被告人大谷に気がつかなかつたとしても右認定を覆す資料とすることはできない。)会議が終つた後は小川町に出て被告人山畑と共に金永岩方に宿泊した事実を認められ、従つて前記大谷昭雄の供述は措信し難く採用できないこと明白であることからしても、原判決が原判示のとおり認定したことに誤認があると判断することは許されない。所論はそれ故理由がない。
同第八点について。
原判示第五の(二)の事実について引用せられた証拠が被告人伊藤の検察官に対する第二回、同第三回供述調書のみであること所論のとおりである。而して所論はこれを捉えて刑事訴訟法第三百十九条第二項、憲法第三十八条第三項違反と主張する。しかし原判決の第五の(二)の事実というのは、第五の横川重次に対する強盗殺人未遂事件に関し、その実行行為前の段階として、被告人等に於ける謀議の成立した事実を判示するに止まるから、第五の(二)のみで一個の犯罪事実としているわけではない。然るに刑事訴訟法第三百十九条第二項や憲法第三十八条第二項はいうまでもなく一個の犯罪行為を基準として、これに関し自白以外に何等の補強証拠が存しない場合のことを規定しているのであつて、一個の犯罪事実の一部分、即ち犯意の形成、謀議、予備から進んでは実行行為の着手、終了、結果の発生等すべての段階毎にそれぞれ補強証拠を必要とする趣旨ではない。而して原判決は謀議の段階たる第五の(二)の事実については所論のとおり被告人伊藤の供述調書以外に何も援用してはいないけれど、第五事実即ち横川重次に対する強盗殺人未遂の行為全般にわたる判示事実については被告人等の供述調書の外に証人松浦高義、関口秋男の証言の外多数の証拠を示している故、訴訟手続の法令違反を主張する論旨は理由がない。
同第九点について。
原判決引用の被告人等供述調書に証拠能力を認むべきことは論旨第五点説明のとおりである。
原審証人小林誠吾の証言が所論のようにでたらめな証言ではなく、真実性に富むものであることは記録を通じて明白に看取できるところであり、数多くの裏づけ証拠によつてもその真実性が十分保障されているのである。従つてこれを所論のように証拠能力のないものとするを許されない。たとえば、
(一)同証人は被告人田中昭三、同石田等とともに火焔瓶を作つて実験した旨証言するが、小林証人の指示に従へば、所沢市下富部落内山林中に確に右証言のとおりの実験跡と覚しき樹木の焼痕と多数の瓶の破片の散在することが確認し得られたし、現にその瓶の破片を集めて本件の証拠物となつているのである。(昭和二十八年押第八七六号の一、二)、又同証人証言どおりの日時場所で同証人の云うとおりの投石事件や火焔瓶投擲事件が発生しており、(判示第二、第三の事実に関する証拠参照)、判示第四の強盗予備事件のため用意せられた火焔瓶が小林の証言どおり、被告人田中昭三の実姉星野ゆき子方から別の揮発油瓶と共に発見押収され(同押号の一一、一二)右星野ゆき子は証人として、右瓶はその頃田中昭三から預つたものとしている。もしこれらの証拠の裏づけにも拘らず、小林誠吾の証言の真実性を否定するならば、被告人田中昭三は何の目的を以つて火焔瓶を作つたかの疑問を解くべき合理的説明がなければならない筋合と考えるが、そのような合理性ある説明を聞くことを得ないのである。
(二)原判決第五、六事実に関する小林の証言も亦同様である。昭和二十七年八月六日菅谷村の松浦高義方に十数名の会合があつたこと及びその席上横川重次方の見取図を持参した者がある旨の小林の証言は原審証人松浦高義、同関口秋男の証言により裏付けられ、横川重次が昭和二十七年八月七日自宅で暴漢に襲はれ日本刀その他の兇器を以て瀕死の重傷を受けた事実の証拠と並んで松浦方会合が山村工作隊の平穏な会合であることを否定すると共に、横川方縁側に被告人田中昭三の下駄(昭和二十八年押第八七六号の二四)被告人仲村のズツク靴(同押号の二六)と極めて類似した痕跡が存すること、被告人田中昭三がその逮捕直前まで所持していたと認められる日本刀(同押号の二八)が発見されたが、右日本刀に横川重次の血液と一致するA型の血痕の附着していること等小林証言の真実性を断定するに足りる証拠は一々これを列挙する煩に耐えないほどである。
(三)小林に対する反対尋問は略三開廷の長きに亘つて行われたに拘らずその間同証人は終始理路整然と一貫した応答を以て酬いているのである。独立遊撃隊の綱領の細部につき解らないと答えており、「遊撃隊の本質は何か」との問によく判らないと述べ「革命とは何か」との問に具体的に明確な答弁ができない旨答えているが、それだけで小林の証言を一切でたらめだと一蹴し得る理由がない。よしんば小林誠吾が右の如き尋問に述べたとおり革命の本質や、その戦術について知識がなく、正確な証言を為し得なかつたとしても、被告人等の犯行についての証言の証明力は減殺されるわけがないからである。又小林誠吾が被告人等からみれば嘗ての同志を裏切り、法廷で被告人等に不利益な証言をするような人物としか考えられないとしても、その証言は被告人が責に任ずべき事実のみを供述したものであり、決して被告人等に無実の罪を負はしめたものではないからである。
以上のとおりであるから、被告人の原審公判廷における供述と相反するからといつて、被告人等の右法廷の供述が真相で、小林の証言が権力に媚びた作為の証言というが如きは全く失当である。
原審証人松浦高義、同関口秋男の証言をとつてみても同様で、右証言の証拠価値を否定するのは正当ではない。右証言に爾余の原判決引用の証拠を綜合すれば、被告人山畑が昭和二十七年八月六日午後四時頃誰も集らない中にまつさきに松浦高義方に赴いて、部屋を掃除して田中昭三その他の集合を待つており、途中から帰つてしまつたことはなく、終始松浦方会合に列席しその会議の内容が何であるかを熟知していたこと、その前々日八月四日に被告人山畑、同大谷、同石田の三名で関口秋男を訪ね、横川重次の事を聞き合せ、横川方見取図を書いて松浦高義方に持参するよう依頼しておいたところ、関口がその約束に従つて横川方の見取図を作つて松浦方へ赴き、山畑、大谷、石田の三名の中の一人に渡したこと、同所には約十名余りの青年がいて、関口秋男やその他二名(被告人宮沢及び被告人田中正男)を別室に移らせ、何事か密談に耽つていたこと及び被告人山畑は同会合を終つて同夜は小川町の金永岩方に宿泊し、翌七日横川重次方襲撃事件に本隊として参加したこと明白で、これと反対の趣旨の証人山畑武雄、同春日春子、同山畑幸子の各証言は信を措くに値しない。原審証人金永岩が被告人山畑を知らないと証言しているが、この証言も措信できない。又関口秋男が警察署でどんな取調を受けたにせよ、同人の法廷に於ける証言が証明力のないものとする理由にならないのみならず、被告人山畑も大谷も、松浦方会談に出席していなかつたと主張するに拘らず、関口秋男に対し、その主張に副うような反対尋問をしてはいないのである。してみれば原判決が右松浦高義、関口秋男の証言を採用したことは当然である。
又押収のKノート(同押号の一二)に対する所論の非難も当らない。右Kノートは被告人田中昭三の実母田中サト方で発見押収されたもので、それ自体では同被告人の松浦方の計画謀議に参加した事実を証明するものとはいえないが、その中には横川重次に関する記載が散見され、横川重次に対し被告人等がどんな評価をしていたかを推認させる資料というべきであり、従つて、松浦高義方会議の席上横川重次方の見取図の必要があり関口をして作成させた事実と相まち、右会議に於て横川重次の事に関していかなる事が議題となり、その結果原判示の如き襲撃事件の謀議が成立した事実を示す証拠として挙げるに足るのである。
要するに原判決には、所論のような採証法則違反は存せず、従つて事実の誤認もないから、論旨は理由がない。
論旨第十点について。
所論は原判決中第五の(四)に於ける「被告人田口が所携の鋏を以て横川重次方南方の電線一本を切断した後、先発隊の被告人伊藤及び小林誠吾は邸に入り」と判示した点について理由のくいちがいがあるとする。しかし原判決挙示の証拠によつて右判示事実を容易に認定し得る。もつとも被告人伊藤と小林誠吾が、田口の右電線切断後横川方邸内に入り、横川重次に面会を求めた際、同家女中飯野千代子が、電話で薬局に薬を注文していたこと所論のとおりであり、従つて二本の電話線の一方を切断してもなお通話可能であつたというに帰するから、この事実は一見不合理な観がある。しかし記録を精査し明らかなとおり、原審証人小城末春はこれを必ずしも不可能ではないと証言しているのみならず、当審鑑定人粟飯原清、同江副卓爾共同作成の鑑定書によれば、
(一) 電話線の一本を切断すれば、その後新しく通話を開始することは不可能である
(二) しかし本件田口のやつたように通話中に電話線の一方が切断された場合には通話不可能な場合と可能な場合とあり即ち
(イ)その切断ケ所が、電柱より電話局側の部分で起つたときは通話不能に陥るが
(ロ)反対側即ち電柱より電話加入者側の部分が切断されたときは必ずしも通話不能ではなく、電線切断による電気抵抗がさほど高くならなければ、多少話声が低くなる程度の支障を来すことがあるけれど通話は可能で、電気抵抗が高くなるにつれて、次第に声が低く聴き取れなくなり、遂には通話不能となる。
と認められるところ、福島祐二郎作成の実況見聞書並びに同添付の電話線切断を示す写真(記録第六二四丁)によれば、本件田口の切断したのは横川門前の電柱から横川方に向つて数糎の箇所であること明白であり、従つてその切断ケ所から云えば前示鑑定人の示す(一)の(ロ)の場合に該当すると認められるところ、切断された電線は横川家の塀の南北に相当の長さに亘り、大地に接するか、或は地上の植物に触れていたから、地表又は植物の水分が影響して電気抵抗がそれほど高くならなかつたことと容易に推察し得られるわけである。従つて飯野千代子がその通話中に起つた電話切断の影響をそれほど感じなかつたとしても、又同人が相手方と完全に通話できたとしても決して不合理なわけがないのである。論旨前段は田口のいうが如くに電話線を切断すれば、通話不能になるか少くとも通話が著るしく困難になることを前提とし、かかる事実の認められない限りは被告人田口や伊藤の供述調書を証拠とすることはできないとするもので理由がない、のみならず寧ろこの点被告人田口の供述に任意性ありとすべき理由の一に挙げ得るものであること既に弁護人の論旨第五点に対し説明したとおりである。
なお横川重次方附近で電話線の切断されたのは原判示の一本のみではないことは所論のとおりであるが、門前の分は田口が切断した後に於て家人の通話中の声を聞いて更に他の一本を切断したことは既に説明のとおりであり、横川家邸内における切断はその位置からすると当然空中にあつたものを切断したとは認め難く、田口が門前の電柱に昇つて切断したために垂れ下つた電線を何人かが切断したものというべく、それが何人により何時どうして切断されたのかは原判決の関知するところではない。而して電話切断の用具に関しては原審証人小城末春は刃先の薄いペンチ式のものとし、原審鑑定人五十嵐勝爾はペンチ、ニツパー、ブライヤー、くいきりの類を挙げているがその中のどれとも断じ得ないとしている。而して、これら証拠は必ずしも原判示のように鋏を用いたとは断じる資料ではないが、鋏を用いたことを否定するものではないしその用具が正確に何であるかを鑑定のみで断定しなければならない理由も認められない。原判決が被告人田口の供述調書により、前記証拠と相まつて鋏を用いて電線切断の事実を認定したのは正当である。
更に右五十嵐勝爾の鑑定書中には鑑定物件たる電線の両端が異種の器具で切断されたとしている記載が存する。しかし電線の一方は田口が切断した箇所であるが、他の断端は田口が切断したため地上に垂れ下つた電線を鑑定資料とするため警察官が切断したものと認められ、この両端が異種の切断器具によつて切断されたと推認されるのも当然なのである。従つて原判示には所論の如き審理不尽も事実の誤認もなく、論旨後段もその理由がない。
同第十一点について。
証人横川重次は暴漢に襲はれ、百万円云々の書状を示されたのは蔵前の間であると証言しているが、原審はこの点を措信せず証言中他の証拠と矛盾する部分を排斥していることは原判文上明白である。而して瀕死の重傷を受けた横川が、当時の惨状を正確に記憶していなかつたことがあつても、それは寧ろ当然視してよく、右横川証言の矛盾から、すべて本件の証拠は捜査官の誘導により作り出されたとする所論は失当も甚しく、論旨は理由がない。
同第十二点について。
所論は原判決第五の(四)中の「被告人田中昭三は日本刀、被告人仲村は登山用ナイフ、その他の被告人は所携の兇器を以て同人(横川重次)に逼りその肩外数ケ所に斬りつけ、逃げる同人を捕えんとして追跡探索し、或は金員を奪はんとしてその所在を物色し」たとの判示部分が具体性を欠くものとし、理由のくいちがい、又は証拠によらないで事実を認定したものと主張する。しかしその他の被告人とはその前段に「被告人田中昭三、仲村、山畑、大谷は屋内に押し寄せ」た事実を判示していることと相俟つて被告人山畑、同大谷を指すこと文理上明白なところであるのみならず、原判決は所論のように単に謀議に従つた行動をしたと判示しているのでなく、第六(一)(二)の宮沢被告人、田中正雄被告人を除く爾余の各被告人等の横川家に於ける行為を各被告人毎に明示していること原判文上明らかである。しかし、原判決が山畑、大谷の所持していた兇器が何であるかを判示せず、又「横川の肩外数ケ所を斬りつけた者」「同人を追跡探索した者」「金品を物色した者」が何人であつたかを具体的に判示しなかつたことは所論のとおりである。而して事実を判示をするについて凡ての部分に亘り明確に判示することは望ましいことに違いないが、本件被告人の中或は供述を拒否している者があり、或はその供述に他の被告人の供述とくいちがいがあることもあり、原判決認定以上に明確な判示を要求することが不可能であるばかりでなく、原判決が一応被告人等の松浦高義方に於ける会議により、横川重次に対する強盗殺人未遂の罪につき謀議の存することを認定し、かつ、横川方に於ける行動についても夫々判示している以上所論の点のみについて判示し得ない部分があつたにしても理由不備といえず、又理由のくいちがいがあるとも認められないから論旨は理由がない。
同第十三点について。
所論は被告人宮沢に関係する原判示第六の(一)事実の誤認を主張する。しかし原判決の右関係部分引用の各証拠に証拠能力の存するはもちろんのことでその内容も特に信用すべき状況にあるものと認められ、これら証拠によつて認定された原判示事実には誤認の認められる点が少しもない。証人宮沢保信の証言は他の日の記憶を八月六日のものと混同しているに過ぎず、証人並木陽三の証言は原判示事実と矛盾するものではない。証人菅間喜平の証言に至つてはその証言が時間的に必ずしも正確な供述とは認められず、当審検証の結果に徴し日の出橋より宮沢方えは百五十米に過ぎず、更に自転車で約六百五十米隔たる大河村小学校まで往復した後再び日の出橋まで戻るためにそれほど時間を要したとは認められず、同証人のいうが如く、被告人宮沢の原判示所為が時間的に不可能とはいえないから同証人の証言こそ信用する価値がない。従つて右措信できない証言に依拠し原判決を論難する論旨もその理由がない。
同第十四点について。
所論は被告人田中正雄に関係した原判示第六の(二)の事実誤認を主張するのである。しかし原判決挙示の各証拠により右第六の(二)の事実を認定するに十分である。被告人は当日自宅え帰つたと主張するが被告人田中の伯母内田ふさが証人としてこれを判然否定しているのであり、同被告人が自宅え帰つたということこそ真実に反するものであり、従つて所論田中朝治の証言は信用できない。論旨は徒らに内田ふさの証言を初め、その他の各証拠、特に証人小林誠吾の証言を非難するのみで理由はない。
被告人田中昭三その他各被告人の論旨について。
所論は重復した部分が多く、かつ極めて乱雑であるが、その主張するところは次の諸点であると認められる。
(一)本件は国際及国内の諸情勢からみて、共産党弾圧のためのデツチ上げとする論旨。
(二)原審の訴訟手続に法令違反があるとの論旨。
(三)被告人等の供述調書の任意性に関する論旨。
(四)小林誠吾の証言に関する論旨。
(五)三浦正也の供述調書に関する論旨。
(六)その他の原判決挙示の証拠に関する採証法則違反、事実誤認の論旨。
と分類し以下順次項を追い判断を与える。(但し弁護人の論旨と同一で既に判断を与えた点には再度説明しない。)
(一) 国際国内の情勢により本件は共産党弾圧の起訴であり、従つて「デツチ上げ」であり、被告人等は無罪であるとの論旨について。
「デツチ上げ」とは恐らく証拠の伴わない空虚な事件という意味であろうが、それならば被告人等が無罪であること当然である。しかるに本件ではその「デツチ上げ」であるか否かがまさに問題であり、所論のように「デツチ上げ」だと決めてかかり、無罪を主張するほど容易な事はない。事実の認定はいうまでもなく証拠によるべきものである。而して本件の証拠は内外の「諸情勢の分析」とは何のかかわりもない。本件は一の刑事事件で、何等の政治的色彩を帯びたものではない。それ故いかほど情勢を分析したとて本件が所論のように共産党弾圧のための起訴であるとは証明することはできないし、況んやその「デツチ上げ」であることを証明するものでもない。当裁判所はかかる論旨につき判断を与える必要はない。原判決が被告人は共産党員ないしはその同調者たることを冐頭に判示したのも共産党員又は同調者の犯行である事実を判示したのみで、共産党に対する偏見に左右された事実は毫も存せず又共産党員なるが故に有罪とし、或は刑を重くしているわけでないこと勿論である。
(二) 原審訴訟手続の法令違反を主張する論旨について。
法廷に於て被告人や傍聴人が騒いだりして審理が円滑に進行しないと予想される事件に於て、裁判所周辺を警官が警戒し、法廷内部に警備員を配置する要があることは当然である。本件に於て右の如き措置に出たとしてもそれが不必要であつたとはいえず、特に不当な目的に出たとは認められない。法廷の窓に金網をつけたり、傍聴人に一応の身体検査を施行したとの点も同様である。而して叙上の措置が必要巳むを得ないものと認められる以上、それが被告人に心理的に何等かの影響を及ぼしたとしても、被告人の身体を拘束したものといえないのはもちろん、これを以て原審裁判官に不公正なものがあつたと認めることはできない。盗聴器ということを所論はしきりに主張するのであるが、それが果してどう云うものであるのか当裁判所には正確なことは判らない。強いて考えれば法廷が万一混乱に陥るような場合を予想し、迅速な警備態勢をとるため、法廷にマイクロフオンを設置したのかもしれないが、仮にそうだとすれば、それも法廷の秩序稚持のための合目的なものと認められると同時に、それが原審裁判官によつて設置されたものとは断定し得られない。従つてその設置が原審裁判官の不公正な意図に出たことを認めるに足る証左はない。
被告人大谷等は検察官が小林誠吾の公判分離を請求し之が許されるや、右小林を本件被告事件の証人として申請し、右証人申請の書類が公判分離決定前から作成せられていた事を以て原裁判所と検察官が公判の分離を打合せていた事実を示すものの如く主張するが、検察官が分離決定が為されることを予想し、書類を作成準備していたからといつてこれ亦原審裁判の不公正を示すとはいえない。被告人山畑等は法廷に武装警官を導き入れたというが、記録上かかる事実は認められない。その他傍聴人中に私服の警察官がいたとか、被告人の法廷への護送問題まで取り上げて裁判所の不当を主張しているが、これらは原裁判所の関知しないところであり、所論の如き主張を理由ありとすべき何の根拠もない。
又所論は小林誠吾の公判を分離したことを不当とする。しかし同人の公判を分離し、小林誠吾を証人として取調べることが被告人等に不利な手続とは認められず、却つて同人を証人として反対尋問にさらし、同人の証言の信憑力を打ち破る好機を与えられたわけであつて、この意味に於ては公判手続を分離しないで小林誠吾が被告人として本件被告人等と同一法廷に出頭していて、被告人としての右小林に質問するよりも寧ろ有利な立場にあつたといい得るところである。所論は小林が証人として被告人等に不利益な陳述を為したことから、公判を分離しなければ、証人としての陳述を阻止し得て被告人に不利な証拠の取調を免れると誤解しているのかも判らないが、たとい小林の事件を分離しなくても、同人が強盗殺人未遂被告事件について分離前の昭和二十七年九月十八日の公判廷で起訴状のとおり相違ないと述べ、次いで同年十月九日の公判廷に於て、強盗未遂、強盗傷人、強盗予備等の訴因に関しても前同様自己の有罪であることを認めていたのであり、共犯者であり共同被告人である同人の原審公判廷における供述が被告人等に対しても証拠能力を有するは当然で事件の分離によつて被告人等が不利益を受けたことは少しもない。また小林誠吾に対する反対尋問の如きは昭和二十八年三月十二日、同月十七日及び同月二十四日の三開廷を費していること記録上明白で、原審裁判所がこの反対尋問を制限したことを認める証左はない。その他証人横川重次を初め各証人にはいずれも現に被告人等からも反対尋問が為されていること明瞭であるに反しそれを制限したようなことは記録上少しも認められない。
原審検証に被告人等が立会つていないことは所論のとおりであるが、被告人等は当時いずれも勾留中で身体の拘束を受けていたものであり、刑事訴訟法第百四十二条により検証に準用される同法第百十三条第一項本文は被告人の立会権を認めているに拘らず同項但書によれば身体の拘束を受けている被告人にはこの限りに非ずと規定して身体拘束を受けている被告人に検証立会権を認めなかつたものであるから、原審が被告人等を立会わせないで検証を施行したことは少しも違法ではない。被告人田中昭三は右検証に際し、警官が被告人田中正雄に対し暴行したかのように云うが、何かの誤解に過ぎない。
逮捕状に関しては被告人石田につき昭和二十七年八月二十一日附逮捕状、被告人仲村につき同月八日附逮捕状が存すること記録に徴し明白で、同人等の逮捕が令状に基かない不法のものとはいえない。もつとも被告人仲村は刑事訴訟法第二百十条の緊急逮捕を受けたものであるから逮捕状の発布が逮捕の後であつたのは当然である。
最終陳述に関しても原審手続は違法ではない。なるほど原審記録をみるに昭和二十八年六月十三日までには既に被告人仲村、田口、宮沢、田中正雄の最終陳述を終つて、同月十七日に続行となつたところ、同期日には弁護人の申請により証人浅井博を取調べてから新しく最終陳述の段階に入り被告人田中昭三以下仲村、田口、宮沢、田中正雄の外に被告人山畑も最終陳述を終つて被告人大谷の最終陳述の中途で次回に続行となつたところ、同年七月七日の原審第三十六回公判に於て突如弁護人から証人三浦正也の申請があり、却下されたに拘らずこれに絡んで被告人大谷は裁判長に促されても、三浦を調べないなら最終陳述をしないと述べ爾余の被告人も最終陳述を為す意思がない旨を表明したので結審の運びとなつたことを認められる。併し最終陳述は被告人等が現実に為すことを必要とせず、その機会を与えれば足りるものと解するを相当とし、前認定のとおり原審裁判長から陳述を促されながらこれを拒むが如き場合には最終陳述の機会は十分与えられたものというべく、従つて被告人等の最終陳述を完了しないで公判を終結するも違法ではない。
なお所論は原審が被告人等申請の証人を不当に却下したと主張するけれど、証人尋問はすべて裁判所が適当と認める限度に一任されているものであり、申請に係る所論証人を取調べなければ違法とは到底解し難い。
又原判示中に某所とあるだけでその場所がはつきりしないところがあるけれど犯罪の場所は裁判所の管轄権等に関し重要な事項ではあるが、これを明示し得なければ理由不備とはいえない。それ故所論はいずれもその理由がない。
(三) 被告人の供述調書の任意性に関する論旨について。
この論旨は既に判断を与えた弁護人の論旨第五点と同一であり、その説明を参照すべきである。原審証人浅井博の証言によつてもその任意性を否定できないことを一言するに止めそれ以上の判断をしない。
(四) 小林誠吾の証言に関する論旨について。
これも又弁護人の論旨第九点と同一で、当裁判所の判断も又同一であるから、更にここに繰り返さない。
(五) 三浦正也の供述調書に関する論旨について。
三浦正也は昭和二十八年三月二十五日の原審法廷に証人として尋問を受け、「被告人田中昭三は全然見知らぬ人である」「被告人大谷も知らぬ、ペンネームでも知らぬ」と述べてはいるがそれとともに関口道之助方放火未遂事件に関し自己が有罪の判決を受ける虞がある故を以て証言を拒否している。更に被告人田中昭三や被告人大谷、同伊藤の問に対し、三浦が夜遅くまで取調を受けるような場合はこれを拒絶したこと、取調中精神的に疲労したことや昼食も食わずに取調を受けたこともなく記憶の薄れたことを述べたこともないと証言している。しかし前記のように証人が自己に有罪判決を受ける虞がある故を以て証言を拒んだ場合には刑事訴訟法第三百二十一条第一項第二号の「供述者の死亡、精神若しくは身体の故障、所在不明若しくは国外にいるため公判期日において供述することができなかつたとき」と区別すべき理由が認められないから同条によつて三浦正也の検察官に対する供述調書の証拠能力を認めるべきは当然の事理である。たとい同人がその後更に供述を変え、自己の犯行を全面的に否定しているからといつて、証人として再度これを取調べなければならない理由は毫も認められず、前記公判廷における被告人田中昭三、伊藤、大谷に対する応答や三浦の供述調書を検討することによつても三浦正也の検察官に対する供述調書の任意性は認められる。而して当審においては三浦正也を取り調べたけれど同人の証言は誇張されたもので真実性に乏しいものと認められるから右調書の証拠能力を否定する根拠となり得ないことは先に弁護人の論旨第五点にも説明したとおりである。それ故原審が三浦正也の証人申請を却下したのは理由があると共に三浦の検察官に対する供述調書を証拠能力あるものとし之を証拠に採用したことは違法ではなく論旨は理由がない。
(六) その他の原判決の証拠に関する採証法則違反、事実誤認の論旨について。
(1)ズツク靴と下駄(昭和二八年押第八七六号の二六、二四)に関する原審証人関根政一の証言は所論のように検察官に迎合した根拠薄弱なものとはいえない。これと関根政一作成の鑑定書(昭和二十七年八月二十五日附)その他原判決挙示の証拠により、昭和二十七年八月八日朝横川重次方縁側に残つていたズツク靴及び下駄の痕跡は、被告人仲村の履いていたズツク靴と、被告人田中昭三の履いていた下駄によつて印せられたもので、被告人等はこれを否定するが、被告人仲村、田中昭三がその前夜横川重次方へ行つた事実を明示している。なるほど関根政一の鑑定書や証言だけでは、下駄或はズツク靴とその痕跡との同一性の存することを断定することを差し控えていると認められるがそれでもなおズツク靴の方は「一般検査、肉眼検査、印象検査の結果全く符合し」「同一と断定することが許される程高度の酷似性」があり下駄の方も「木の節を頂天とする不正三角形に顕出される歯型の部位が同一類型」であるとしているのである。それ故これら各証拠と爾余の証拠と相まつて、これを同一のものと断定して一点の疑をも残さないのである。又前記ズツク靴や下駄が八月二十日に押収され八月二十五日に鑑定された事即ち被告人田中昭三、同仲村の逮捕後相当の日時を経過したことや、下駄が鼻緒と別になつて証拠物として提出されていることは所論のとおりであるが、このような事実によつて前叙認定を妨げるものではない。原判決には採証法則違反はない。
(2)洋刀(同押号の三三)には血痕を証明できないし、被告人仲村が横川重次に斬りつけた事実を立証するものでもない。原判決認定も結局これと同趣旨で被告人仲村が洋刀を以て横川にせまつた事実を認定し、その証拠として前示洋刀を挙げているに過ぎない。ただ原判決はこの点表現が不正確で誤解を生じ易いが、論旨のいう如く仲村が横川に斬りつけた事実をも認定しているわけではない。論旨は原判文を誤解したに過ぎないと共に、右洋刀に血痕が認められないからといつて、原判決の事実誤認とはいえない。
(3)湯呑茶碗(同押号の四五)に存する掌紋は小林誠吾の掌紋であることは関根政一の鑑定書の示すとおりである。小林が指紋の発見を恐れて右茶碗を拭いながら、却つてそのため自己の掌紋を残すに至つたことは皮肉ではあるが、不自然な現象ではない。而してこの事実も他の証拠と共に被告人小林が昭和二十七年八月七日横川方に行つた事実を確定し得るし、小林の証言の真実なることを裏書すると共に被告人等の弁解を打ち破る力をもつている。なるほど本件で他に指紋や掌紋の証拠は存しないが、その事は犯行現場に一切指紋が発見されなかつたということではなく、何人の指紋なりや確然としない指紋が沢山存在してはいるが、本件に於て証拠として提出し得る証拠にはならないだけである。横川家の家人の指紋を発見したとて、それが本件の立証に供せられるわけがない。以上の事は関根政一の原審第二十九回公判の証言から自ら推察し得る。又八月十五日に前記掌紋のある茶碗を一且横川方から押収し、小林の掌紋の存することを確認しながら、(関根政一のこの点の鑑定は八月十五日付となつている)茶碗を横川方へ仮還付しその後同月二十一日更に之を押収したことは所論のとおりで捜査官として重大な失態といえる。しかしこの事から茶碗の掌紋により小林が横川方へ客を装つて訪れた事実を認定するについてその証明力を減ずるものとはいえない。
(4)麻縄(同押号の一九)に血痕が証明されても不思議ではない。証人小林の供述によれば、同人は横川重次方であちらこちらと動き廻つている中、腰につけた右麻縄を落したといつている。而して横川方に於ては各所に血痕が流れ落ちていたことは警察官の実況見聞書に明らかである。麻縄の血痕はその際附着したと認められる。従つて右血痕附着の麻縄を証拠としても採証の誤はなく、却つて爾余の証拠と共に仲村が犯行当日小川町内で新しい麻縄を買い、横川方家人を縛るため、各人に分配した事実やこれを以て現に家人を縛つた事実をも証明するものである。
(5)紙片三片(同押号の三四)も本件の重要な証拠物である。なるほど現在僅少部分が残つているのみで、それに現われている文字も判読し得るのは少ない。しかし欠損部を推理により補えば、「命」とか「世な」という文字が存することを認められ、原判示の如き書状の存在を立証する資料たるに十分である。而してその紙質も一部変色が認められる外は同一と認められるし、それが三片に分かれているにしてもこの事実を以つて証拠について何等かの作為を施したものとは認められず、原判決がこれを証拠としているのは当然である。
(6)証拠の示すところでは被告人伊藤は八月七日鉛筆売を装い横川方に赴いた事実があり、同夜同被告人は先発隊として小林誠吾と共に横川方へその在宅を確めるために行つた事実は原判決もこれを認定しているとおりである。それ故横川家女中大沢ふさは二度、横川重次三男凡名は一度被告人伊藤と顔を合せ会話も交しているわけであるが、右大沢ふさも横川凡名も、原審証人として被告人伊藤の顔貌を記憶している旨の証言をしていないことは所論のとおりである。(大沢ふさ、横川凡名の当審証言は、同人等の記憶以外の要素が混入しているかも判らないから、今これを考慮に入れないこととする。)しかし来客が日頃から多いと認められる横川方にあつて、さして重要な客と認められない被告人伊藤の容貌が横川家家人の記憶に止まり得なかつたとしても、不自然ではない。まして被告人伊藤の再度の来訪にも拘らず昼間の鉛筆売の事を想起し得なかつた証人大沢の記憶力の程度を考えれば、同証人等の証言が、被告人等の犯行を否定する資料たる価値は認められない。
(7)証人横川重次の証言中の書状を突きつけられた場所が蔵前の部屋だとの点が他の証拠とくいちがうこと、及び電話線の切口が鋏を用いたと断定するに足る鑑定の為されていないことは所論のとおりであるが、この点に関しても原審に採証法則の違反はないこと既に弁護人の論旨に答えたとおりである。(弁護人の論旨第十一及十二点参照)
(8)原審証人馬場愛助が一度すれ違つただけの被告人田中昭三及同人の所持していた物件につき正確な証言を為し得なかつたことは、同人の証言を無価値ならしめるものではない。原審がこれを証拠としたことは採証法則に反しない。
(9)横川重次着用の浴衣(前同押号の一三)に血痕の附着していないことは所論のとおりである。しかし原判決はこれを証拠に採用していないのであるから、これを以ては原判決の事実誤認、採証法則違反の理由にならないこと自明であるが所論はそれが証人の証言に影響あるもののように主張するから敢て説明を加える。当審証人大沢ふさの証言により、浴衣は血にまみれて横川重次方の庭に落ちており、兇行後捜査が一段落してこれを押収しないことに決つてから(浴衣が押収されたのは八月十三日であること記録上明白である。)大沢がこれを洗濯した事実を認めることができる。犯行後直ちに右浴衣を押収しなかつた手落は存するにしても、証人の証言に影響を来すものとは認められず、現に右浴衣の肩口に横川重次の傷に相当する痕跡が存するのである。なるほど同人の右腹部の傷に相当する痕跡が浴衣にはないが、本件犯行により同人の帯が解けるし、浴衣の前もハダケて遂に庭にズリ落ちてしまつた事実(横川重次の証言参照)を考えれば、横川自身右腹部の傷を受けていても、浴衣にその痕跡が残つていない理由を推察するに難くはない。
(10)押収のステツキ(同押号の二二)の尖端が割れており、それが何時何人の手で為されたか不明であるが、その事実は原判示に何の影響もない。原判決は右ステツキを証拠にしていないからである。その他所論は田口の上衣(同押号の二七)球根栽培法(同押号の三五)について論及するけれど、右はいずれも原判決が証拠としなかつたものであるから、いずれも原判決の事実誤認を主張し得る資料ではない。
(11)被告人石田は押収のシヤツ(同押号の九)についてそれが作為された証拠であるかの如くいう。なるほど右シヤツは鋏の跡が所々に認められるのであるが、それは五十嵐勝爾がシヤツの穴がどうしてできたかを鑑定するため、その部分を細切し、シヤツの穴の部分に硫酸の附着していることを証明しているのである。(記録第二三四丁以下参照)従つて右鋏の跡は五十嵐勝爾が鑑定の必要上細切したため生じたものであつて、ことさら作為を施したものではないこと明白である。
(12)所論は関口秋男の証言、日本刀に指紋の存しないこと等その他について論難するが、要するに原審が適法に為した証拠の取捨選択を非難するに過ぎない。
それ故論旨はいずれも理由がない。
弁護人の論旨第十五点について。
所論は量刑の不当を主張する。よつて記録を精査し、被告人等の経歴、環境、本件犯行の動機、態様、罪質その他諸般の情状を考えてみると、被告人の中最年長者たる被告人伊藤が大正十三年生である外は昭和の生れで、その人生経験は浅く資質環境も必ずしも恵まれたものとはいえない。それに拘らず被告人等は自己の狭い視野だけで不正と判断される事に対する憎悪の感情からその真否を確めることもせずこの不正を急激に排除しなければならないという信念にまで高められ、それが現在の社会秩序に対する反逆となつて本件のような犯罪が発生するに至つたと認められる。而して世の思潮の一部にはこのような考え方も存在しているのであり、被告人等が個人的な動機のみで本件が発生したわけではないという点は、普通の強盗殺人や放火等の犯行と類を異にすることは明らかであるが、それだけではその犯行の兇悪さを減じるものではなく、被告人等の責任も従て軽いものとはいえないのである。しかし本件と略同一の罪で処罰された小林誠吾が懲役八年に止まることを以てすれば、それが同人の現在悔悛の情顕著なるものあることを酌んだ科刑とは認められるが、それでもなお本件被告人等に対する処刑が一段と重きに過ぎる感を伴わざるを得ない。量刑の不当を主張する論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。
よつて検察官の本件各控訴は理由はないが被告人等の本件各控訴は結局理由があるから、刑事訴訟法第三百九十七条に則つて原判決を破棄することとし、本件は当裁判所の自判に適当と認め、同法第四百条但書により更に次のとおり判決する。
原判決の認定した事実(但し原判示第二の事実中「所携の石塊を投げつけ」とあるのを「所携の石塊を投げつけ命中させ、自動車の窓ガラス二枚を破損するに至らせ」と訂正する)に法律を適用すると被告人田中昭三の判示所為中判示第一の点は刑法第百八条第百十二条第六十条に、判示第二の点は暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項に、判示第三の点は刑法第二百四十条前段第六十条に、判示第四の点は刑法第二百三十七条第六十条に、判示第五の点は刑法第二百四十条後段第二百四十三条第六十条に該当するから、第一第三には有期懲役刑を、第二は懲役刑を、第五には無期懲役刑を夫々選択し、なお判示第五は未遂罪であるから同法第四十三条本文第六十八条第二号により未遂の減軽をし、以上は同法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条第十条に則つて最も重いと認める判示第五の強盗殺人未遂罪の刑に刑法第十四条の制限内において法定の加重をした刑期範囲内において被告人田中昭三を懲役十五年に処し、
被告人仲村、同田口の判示第五の所為は刑法第二百四十条後段第二百四十三条第六十条に該当するから所定刑中無期懲役刑を選択し、未遂罪であるから同法第四十三条本文第六十八条第二号により未遂減軽をし、なお被告人田口については情状憫量すべきものがあるから同法第六十六条第六十八条第三号により酌量減軽した刑期範囲内において被告人仲村を懲役八年に、同田口を懲役五年に処し、被告人石田の判示所為中第二の点は暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項に該当するので懲役刑を選択し、第三の点は刑法第二百四十条前段第六十条に該当するので有期懲役刑を選択し、第四の点は刑法第二百三十七条第六十条に、第五の点は刑法第二百四十条後段第二百四十三条第六十条に各該当し後者については無期懲役刑を選択し未遂罪であるから同法第四十三条本文第六十八条第二号に則つて未遂減軽をし、以上は刑法第四十五条前段の併合罪であるから同法第四十七条第十条に則り最も重いと認める強盗殺人未遂罪の刑に同法第十四条の制限内において法定の加重をした刑期範囲内において被告人石田を懲役十二年に処し、
被告人山畑、同伊藤、同大谷の各判示所為中第一の点は刑法第百八条第百十二条第六十条に、第五の点は同法第二百四十条後段第二百四十三条第六十条に各該当するから所定刑中前者については有期懲役刑、後者については無期懲役刑を夫々選択しなお後者は未遂罪であるから同法第四十三条本文第六十八条第二号によつて未遂減軽をし、以上は刑法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条第十条によつて重い後者の刑に刑法第十四条の制限内において法定の加重をした刑期範囲内において被告人山畑を懲役十二年に、被告人伊藤を懲役十一年に、被告人大谷を懲役十年に各処し、
被告人宮沢、同田中正雄の判示第六の所為は、いずれも刑法第六十二条第一項第二百四十条後段第二百四十三条に該当すべきものであるが、被告人宮沢、同田中正雄はいずれも被告人田中昭三等が横川重次を殺害する意図に出でた事を知らなかつたものであるから刑法第三十八条第二項を適用し刑法第六十二条第一項第二百四十条前段を以て処断することとし、所定刑中有期懲役刑を選択し、従犯であるから、同法第六十三条第六十八条第三号に則つて減軽した刑期範囲内において、被告人宮沢、同田中正雄を夫々懲役三年六月に処し押収の火焔瓶三本(昭和二十八年押第八七六号の一〇)麻縄三本(同押号の一九、二〇、二一)短刀一本(同押号の三〇)洋刀一本(同押号の三三)は本件第四の犯行又は第五の犯行の各供用物件で被告人等以外の者の所有に属しないから刑法第十九条第一項第二号第二項によつて没収し、訴訟費用の負担については刑事訴訟法第百八十一条第一項第百八十二条を適用して主文末項のとおり夫々負担させるべきである。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判長判事 近藤隆蔵 判事 吉田作穂 判事 山岸薫一)
弁護人為成養之助、同佐藤義彌両名の控訴趣意
第六点原判決は訴訟手続の法令違反があるから破棄を免れない。
一、原判決は第一の事実の認定に伊藤の検察供述調書を証拠に引いた。二、右調書中には「山畑、杉山、大谷三浦正也の四人で関口方へ火焔瓶を投げつけてきたと言う話をきいた」旨の供述記載があるが右は伝聞である。三、この場合の伝聞は証拠能力がなく証拠調の際排除さるべきものであるのに原審は敢えてこれを証拠調したばかりでなく証拠にまで引いたのは刑訴法第三二〇条の伝聞証拠禁示の原則を犯した法令違反がある。四、もつとも伝聞に証拠能力を認める場合もあるが、それは一定の条件の下でのみ許されることであつて、本件の場合はその条件にあてはまらないから証拠に引くことは許されない。五、即ち刑訴法第三二四条第一項によれば被告人以外の者の公判準備又は公判期日(2) における供述で被告人の供述をその内容とするものについては第三二二条の規定を準用することになつている。故に公判準備又は公判期日に於て伊藤-第三二四条にいう被告人以外の者にあたるとする-が山畑-同条の被告人にあたるとする-の前記供述内容を供述している場合ならば伊藤の右供述は、山畑の事実の認定について第三二二条第一項の要件を満たす限り証拠に引くことが出来るとの解釈が成り立つであろうが本件の伝聞はあくまでも右の場合とは前提を異にし被告人以外の者(共同被告人伊藤が公判準備又は公判期日以外に於て検察官に対し、被告人(共同被告人山畑)の供述内容を供述したものを記載した場合であるから右第三二二条第一項の準用の余地がない。もし被告人以外の者が公判準備又は公判期日以外に於てなした伝聞の供述まで証拠とすることを許すとするなら刑訴法第三二四条を勝手に拡張解釈して反対尋問にさらされない者の供述を証拠とすることを許すことになり被告人には反対尋問の機会を与えないでもかまわないということを強引に決めた結果になる。これでは被告人はすべての証人に対して尋問の機会を充分に与える旨を規定した憲法第三七条第二項の趣旨はやすやすとふみにじられることになり不当である。六、以上により原判決は刑訴法第三二〇条により禁ぜられた伝聞を証拠に引いた違法があることは明らかである。
(その他の控訴趣意は省略する。)